「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

まとめ。

約5ヶ月ほどですが、なんちゃってライターとしてお金をもらって、ふと考えたこと。


とりあえず、今までの仕事とは脳を使う場所が全く違うようです。
というのも、今までは主に事務作業もしくはデータ入力、データ作成みたいな仕事が多かったんですが、そういう仕事というのは得てして単調なもので、仕事自体に慣れると、その作業をしながらよそのことを考える隙間があるんですね。
だから今までは、仕事をしながらも、脳の片隅で小説のことなどを考えていたのですが、今は同じ脳を使ってるので仕事中にそれを考えることができません。


そして、同じ脳を使っているのに、文章の内容として求められるものは、実は小説を書く作業とは正反対なのです。
小説というのは、想像力の果てにあるものです。
土台から自分で創り上げた虚構の世界で、言葉を尽くしてその虚構を他人に伝えるものです。
よほどのことがなければ、そこに文字数の制限はありません。
骨組みにぺたぺたと肉付けをしていって、何もかもを創り出していく、そしてそれを他人に伝えるのが小説です。
ぺたぺたと肉付けをするそれは、自分の内へ内へと潜っていく作業でもあります。自分の想像力の根元はどこなのか、どう言葉を積み上げれば、自分が抱いているイメージを他人の中に創り出すことが出来るのか。それを探るために、内へ内へと潜り込んでいくのです。
もちろん、資料や外界の情報というものは必要ですが、本来、主となるものは自分の想像力ですから。


けれど、今の仕事で求められている文章は、肉付けをどこまで削れるかが勝負です。
余分なものを削ぎ落としていって、最後に残るコアな部分をどう日本語に仕立てるか、それが求められます。
一番小さなコマでは、キャッチに16字、本文だって160字くらいです。
その中に、必要な情報を詰めこむわけですから、いやでも削らなくちゃなりません。
それは、砂場で遊ぶ棒倒しにも似た作業です。
余分なものを削って削って、けれど中心に刺した棒を倒してはいけないのです。
ソリッドなものを求めていって、肉付けを削ったあげくに日本語として崩壊するようでは意味がないのですから。
求められるのは削る技術よりも、コアを見定める力なのかもしれません。
どこまで削っていいか。どうやったらそこまで削れるか。
つまり、棒の位置はどこなのか、ですね。


社内の防煙垂れ壁(天井から下がっている、数十センチほどのアクリルもしくはガラスの仕切り板)に、もちろん営業さんに向けてですが、こう書かれてます。


「言葉ではなく情報のある原稿作りを」


トイレの行き帰りに視界に入る場所なので、その一文がすごく気に掛かってました。
言わんとすることはわかる、けれどその情報を伝えるのも言葉じゃないのか、と。
でも最近は、まぁそれもありかなと思うようになってきました。
当然、クライアントさんからはお金をいただいているわけですから、まず情報ありきなんですね。
表現の美しさに走ってはいけないわけで。
文字数は限られているから、どうしても犠牲にする部分は出てきます。言葉のために情報を犠牲にするようではいけないのです。


……ただまぁ、やっぱり日本語としての美しさは求めたいよね。
だからきっとライターは、そのボーダーラインに立っているのでしょう。
というか、そのボーダーラインを見極めなくちゃいけない立場なのでしょう。



ところで。
毎月とは言わずとも、1ヶ月おきとか、2〜3ヶ月おきとかに広告を出すクライアントも多いです。というか、そういうクライアントさんがいないと雑誌として成立しないしね。
宿なり飲食店なり、いろいろありますが、そうやって何度も書いていても、毎回新しい情報があるわけでもないし、その宿が毎月リニューアルしてるわけでもありません。
同じ内容を書くことも多いのです。
が、まるきり同じでは、読むほうだって「ぇー」となるでしょう。
同じ事を書いているのに違うように読めなくちゃいけないのです。
ライターは手を変え品を変え言い回しを変え、そう見せかけます。


そしてたまに、宿のほうでも新しい情報を出してきます。プレゼントがつくとか、部屋が広くなったとか、お膳を変えたとか、そういうことを。
けれど、今までの情報が何か消えてそれが増えたというのではなく、ただ純粋にそれが上乗せされるのです。
つまり、今までの情報はそのままに。そして同じ文字数で新しい情報を上乗せ。
さぁ、削る作業の開始です。
そうなると、たった1文字すら惜しいです。


「おすすめ」を「お勧め」と漢字にすれば1文字削れるとか、「○○もあってお得」を○に得という外字を使えば1文字削れるとか、それでも足りなければ「○○もあり」「○○も有」とか。
「リーズナブルな料金で〜〜」は速攻「お手頃な料金で〜〜」にして3文字節約とか。
それでも足りなければ、どこか1行まるまる削ったりもします。
でも、重要なところは削っちゃいけません。
コアを見定めて削って削って言い換えて……。


それを繰り返すわけですから、当然、以前からずっと掲載しているクライアントの記事はかなり完成品に近いです。何人ものライターが手を入れて、力をあわせて磨いてきた文章です。


けれど!
そんな完璧に近い形の文章でも、「言い回しをかえてください」「アレンジしてください」という要望がくるんです。
それは改悪じゃないのか……と思われるような作業すら求められます。
けれど、ライターというのはそれを求められる職業なのです。
棒倒しで、棒の位置は変えられないのに、アプローチは変えるように求められる、そんな作業。



新米ライターにはいろいろ難しい作業もありますが、ただ、小説を書くこととライターの作業との間に、ひとつだけ共通するものがあります。
それは読者に伝えようとすること。
自分が創り上げた虚構であろうと、現実にある情報の集合体であろうと、それを他人に読ませて正確に伝わるのが理想であることは同じです。




……まぁ、日記は日記だから、多少どこかに走っていってもいいか。
(言い訳をしながら風呂へ行く)