「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

おかん来襲の話。


こんばんは。座布団カバー製造工場の主任です。
今年に入ってから、何故か座布団カバーを18枚ほど作りました。いや、何故かはわかっている。受注したからだ。おかんから。
実家では、座布団は6枚使う。母、私、兄一家(夫婦+子供2人)。
1セット6枚で3セット。
もともとは2セット(シンプル系と柄物系)の予定だったのが、母の友人ご夫妻(母も私も世話になっている)が実家を訪れた際にいたく気に入ってくれて、そちらの分も作ることになって1セット増えた。そして多分、年末から来年にかけてもう1セット作る(母の友人宅の来年の夏物を既にお願いされているので)。

厚手の生地で作るので大変といえば大変だが、母はきちんと材料費+製作費(やや多め)を支払ってくれるし、母の友人夫妻も支払ってくれる(お世話になってるので材料費だけでいいと言ったら、材料費を現金でくれて、煙草を買ってくれた)。
座布団カバー……儲かる!(←気のせいだ)

前ふり。

母は、趣味で点訳ボランティアをやっている。で、点訳者の講習会だか定期総会だかなんだか……そんなようなものが札幌で開催されるという。
母「○○さん(座布団カバーを渡した友人夫妻)から材料費と煙草と礼状を預かったから、仕事休みなら、総会終わりに会わない?」
私「あ、じゃあ新しく発注されたほうの座布団カバーもできたから渡すよ」
母「総会が17時に終わる予定だから……」
私「そんな夕方なんだ。じゃ、うちに泊まる予定できて、外で晩ご飯食べようよ」
母「じゃ、そうするー」

母はずいぶん前から、生ハム好きだ。
主に、スーパーで真空パックされている生ハム。私もあれは好きだ。
その話を盆帰省の時にしていて、私が「でも、スーパーの生ハムは柔らかい」というと、母には今ひとつ通じなかった。
母「どういうこと? デパ地下で買うといいってこと?」
私「いや、ちょっといいお店で出てくる、熟成された生ハムはもう少ししっかりした風味と食感なの。デパ地下でも売ってるけど」
母「それはスーパーで売ってるのと違うの?」
ラックスハムと熟成生ハムの違いを説明しようとして諦め、「今度札幌きた時に、そういうの食べられるお店にいこうか」で締めくくっていた。

母は、自称「田舎育ちの年寄り」(そう言えば全て免除されると思っている節がある)なので、ここ20年以内に定着したような食べ物はだいたい知らない。
「スーパーのじゃない生ハム! ほんとだー。味と食感が違う−。おいしー!(・∀・)」
「まる……丸?げれれー(注:マルゲリータ)っていうの? このピザ。スーパーのとも宅配のとも違うー!(注:店で石窯焼きのナポリ風)おいしー!(・∀・)」
「かる…かるっぱっちょ(注:カルパッチョ)おいしー!(・∀・) これ、家でできないよねー!!(注:できるよ)」

思えば20年前、回転寿司に行ったことがないという母(父が見栄張りだったため、回転寿司を馬鹿にしていたので連れて行ってもらえなかった。普通の寿司屋には連れて行ってもらってた)を、初めて回転寿司に連れていった時もこんなリアクションだった。
「面白いね! ほんとにまわってくるんだね! え、注文もできるの!? ビール! ビール飲も!(・∀・)」
私と外食する度、母は新鮮なオドロキを味わうようだが、連れて行くこちら側も、そんなリアクションとられると新鮮な気持ちになる。
スープカレーって、カレー味のスープかと思ってたけど違うんだね! おいしー!(・∀・) これ、家ではできないよね!(できるよ)」
「専門店のジンギスカン初めて食べた! ジンギスカンって家でやるのが普通だと思ってた! さほーく(注:サフォークラム)おいしー!(・∀・)」
「ブランド? 豚肉にもブランドってあるの? それって“メーカー品”?」

帰省する時に、食材やお菓子を買っていったり、母が札幌に来た時に外食したりする度に必ずといっていいほど「初めて」があるので、人生70年生きていてもそういう喜びがあるのかと羨ましくなったりもする。もちろん、時代的な背景もあるし、生活環境の違いもあるので、一概には言えないけれども。
ただそれは情報格差でもあるし、地域格差でもあるんだろうな。
実家は限界集落といっても過言ではない地域にあるので、近隣ではハモン・セラーノを出すお店なんてないし。見栄張りのまま10年前に亡くなった父は和食党だったので、夫婦で出かけても食べる機会はなかっただろうし。存在することを知らなければ、それに対する興味も湧かない。
けれど、母の場合は、世界が広がった時に単純に喜びを見いだせるのが良いことだと思う。今まで知らなかったということにネガティブな感情を抱くのではなく、「これは(自分の中では)新しい!」とポジティブになれる。

「なるほどなー……」と思うことがひとつ。
見栄っ張りで封建主義的な部分があった父親は、一転して…と言うべきか、だからこそと言うべきか、責任感があって、身内は無条件で守る、一族のボス猿的な人でした。要は、人に頼られるのが好きなツンデレ
そんな人にしてみれば、この母親は、庇護欲をそそる……っ!
(かといって、母親は大工の棟梁の娘なので、とくにお嬢様ではない。ただ、時代的には珍しい一人っ子だったので、競争心には欠けるところがある)
「メニューのカタカナが難しい……」と困る母親を見ると、
「これがもし、おかんが妙齢でこんなんしてたら、男にとっては、頼られてる感満載なんだろうな……」と思わざるを得ない。

不覚にも71歳女子に、真の女子力を見る。

ただ、男の目線でそんなことを考えてる自分(しかも、ボス猿云々はともかく、性格的には私が一番父親に似てると言われる)に、真の女子力が備わる日は永遠に来ないような気がする。