「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

コンビニと生きる。

先日、帰りが遅くなったので、夕飯はコンビニで弁当を買って帰った。
その2日前も同様に遅くなったので──でも家にレトルトカレーと真空パックの白飯があることを思い出したので──コンビニでレジ横のチキンを買って帰り、夕飯はチキンカツカレーとした。

コンビニは便利だ。コンビニエンスだ。

まぁ、何故今更こんな風に感慨を深くしているかというと、まずは私の地元がとてつもない田舎だということが挙げられる。近くにコンビニがないのだ。最寄りのコンビニまでは車で15分……の店が閉店したので、20分。全然コンビニエンスじゃない。
それでも子供の頃は、コンビニの存在自体が無かったので、そういうものだと思っていた。徒歩圏内にあったいくつかの個人商店と生協や農協が買い物に行く先だった。夜の7時か8時にはだいたい閉店してしまうが、田舎の子供はそんな時間に買い物に行かないものだ。
実際、今でも帰省の折に、コンビニがないことに不便は感じない。そういう土地柄だと分かってるから、ちゃんと夕方までに必要な買い物は済ませるし、実家は不測の事態にも備えてある。どうしても足りなかったら朝まで我慢する。

コンビニが便利だと最初に気付いたのは大学進学の際に札幌に出てきてからだった。なにせ学生時代というものは、人生において一番阿呆な時期でもあるから、夜中まで出歩いたりもする。ただ、当時住んでいたアパートは、コンビニまで5分ほど歩かねばならなかったし、同じ距離にスーパーがあった。そして私は田舎育ちだったので買い物は夕方までに済ませる習慣が身についていた。しかも自炊能力があった。だから、「飲みに行った帰りは便利」くらいの認識でしかなかった。

次に正社員時代。この時が、一番コンビニを利用した。便利かそうでないかではなかった。当時の私の体は30%がセブンイレブンで出来ていた。
というのも、明らかに労働基準法に違反した会社で、毎月100〜150時間の超過勤務があったので、自炊能力があっても自炊する暇が無かったのだ。そもそも、家で食事をする暇がなかった。だから朝食と昼食と夕食を会社で食べた。その半分は会社から徒歩1分のセブンで、残りの半分はホカ弁や蕎麦屋だった。
当時は「便利だなぁ」という実感は無かった。ただ、この店が無いと死ぬという思いだけがあった。

そして身分が変わり、引越もした今。マンションの近くにあったコンビニは薄暗かった。品揃えも悪かった。ただ、アホみたいな労働時間を強いる会社から解放されたので、自炊する時間が圧倒的に増え、コンビニで弁当を買う機会はなかった。
そうこうするうちに、家の近くにあった薄暗いローソンは閉店した。あの薄暗さは電気代に困窮していたが故かとも思った。ただ、特段不便には思わなかった。私の歴史の中に、「とりあえずコンビニ行くか」的な思考はなかったからだ。あれば便利、なければないでそれは別に構わない、そんなスタンスだった。

が。
去年の出来事だ。
薄暗いコンビニが入っていた薄暗いビルは買収されてビルごと取り壊された。新たに有料老人ホームができ、その敷地の一角にコンビニができた。ちょうど私が仕事帰りに、自宅の最寄りのバス停で降りるとその目の前に。寄る。この立地は寄る。ちょっと飲み物……そういえば煙草が……たまには甘いものでも……。
それでも自炊派の私はそこで弁当を買うことはほとんど無かったが、たまたま先日、帰りが遅くなった際に「冷凍庫に何かあったかなー。っていうか、まぁ最悪この時間から炊飯器を稼働させてもいいか」と思いつつバスを降りると、目の前にコンビニのLEDの光が。
疲労と空腹を抱えた身にそれは、誘蛾灯のようだった。ふらふらと店に入り、ふらふらと弁当コーナーを見て、カツ丼弁当を手に取り、翌日の朝食用のパンも取り、レジに向かう。

やばい。便利だ。
徒歩1分の距離にコンビニが出来たことにより、私の中でのコンビニのスタンスが変わった。
そうか、コンビニがあれば家に備蓄食料が無くてもいいのか……。
(とはいえ、今でも家には常に、1ヶ月ぐらいは籠城できそうな食料はある※田舎育ちだから)

みなさん。
コンビニ、便利ですよ?