「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

7月です。

あっという間に7月。あと2日! あと2日しかないのだ!(校了日まで)
そんな、年間最大ボリュームの月。
私がこの仕事を始めた頃はまだ、今月号は本当に恐ろしい本数だったんですが、最近は不景気のあおりを受けてかやや控えめ。とはいえ、ライターの人数も控えめになっているので、1人あたりの本数はさほど変わりません。
以前いたライターさんが「○年前は100本超えた人がいたらしいけど…」と、それでも当時90本書いて「うへー」となっていましたが(毎月、そこそこの本数をこなしてた人)。
ちなみに今月のアタクシは、100本超えました。うへー。


で、そんなことはともかく。
先月の話です。

おかんがマンションに泊まっていきました。
その少し前になんだか2人で3時間ほど長電話して、「じゃ、今度そっちに遊びにいこうかな。久しぶりに猫の顔見たいし」と相成ったわけです。
ちなみに長電話の内訳は、いわゆるひとつのガールズトーク。
嫁の話。政治の話。出費の話。母親が出かけてた旅行の話。経済と復興の話。
なんだそれ。

母親という人は、私が猫を飼い始めた当初、自分があまり猫好きではないと公言していました。
「あんたが飼う分には別に反対もしないし、可愛がってやれるならいいんじゃない?」ってスタンスで。
ただ、もともとずっと犬を飼っていた人なので、動物は嫌いじゃないんです。ただ、高齢者にありがちな、「昔、化け猫の映画(TV?)を見てそれが怖かった」的な、不思議な先入観を猫に抱いていて、あまり身近に猫に接する機会がなかった人です。

それがどうやら最近は少し慣れてきたようで。
以前はおっかなびっくり、猫にそーっと指を伸ばしてたくらいなんですが、今回は普通に撫でたりもしてました。クロさんが年を取って脂肪も蓄えて、動きが少し鈍重になったからというのもあるけれども(笑)。
2人で雑誌を眺めてる時に、クロさんがたまたま私と母親に間に座ってこちらに尻を向けていたんですが、
「うわ、猫ってあったかいね!」とちょっと楽しそうに。
クロさんのほうも、「あ、こいつ、猫慣れしてねぇな」と思ったのか、ちょっとおとなしかったり。
聞いたところによると、母の友人宅でも猫を飼ってるらしいのですが、そこに遊びに行っても、押し入れに飛び込んだっきり出てこない猫だそうで。
彼女にとっては、「触らせてくれる猫は初めて」だそうです。
(いや、母親は何度も泊まりにきてるから、厳密には今回が「初めて」じゃないんだけど)
まぁ、お互いに親密度が上がったようで何よりです。


そして今回、私は母親に頼み事を一つしました。
お裁縫に使うのに、かぎ針編みの小花モチーフが欲しかったのですが、求める色合い・大きさ・質感のものがなかなか売っていません。売ってるのを見つけるとちょっとお高めだったり(基本、手編みだから)。
手芸雑誌を見ると、編み図は載ってます。
編み方の論理もわかります。
が、私に編み物は向いていないのです(言い切った)。

母親が泊まった際に、編み方でも教えてもらおうか、それとも気が向いたら編んでくれるかしら(母親は編み物が出来る。そのかわり縫い物が出来ない)と切り出してみると、「いいよ、編んであげるよ」とあっさり。
母親はなぜか以前から、私がちまちまと内職まがいのお裁縫ものを売り買いするのを応援したがってるのです。なぜだろう。一時期、犬用の洋服を作って売ってたこともありますが(割とすぐやめたけど)、その時も、「セーターとかなら私も編む−」とほいほい作ったものでした。
30年以上も昔、自分が時折、編み物でお小遣いを稼いでいたのを懐かしく思ってるんでしょうかね。

というわけで、翌日、母親の帰りがけに2人で手芸店にいって、よさげな糸を数玉見繕い、「急がないから適当に編んでみて。そんなにたくさんは要らないし」と渡しておいたところ、1週間あまりで、我が家に大きな封筒が届いたのでした。

サイズを変えつつ、100個ほど。
って100個!?

色別・サイズ別に分けて小さな袋に入れられ、それぞれが5〜20個くらいずつ。
届いたよコールをしてみると、「どう?どう?使えそう?」となんだか楽しそう。
使えるよ。十分使えるし、しかも使い切るまで結構かかるよ。
「まだ糸余ってるから編めるよ。それに、もっと違う色がいいなら、こっちで買ってもいいし、あんたが今度来る時に好きな糸買ってきてもいいし」
大きさはあれがいいとか、糸の太さはこれがよかったとか、こっちのは今ひとつだったとか。
なんだか、独居老人に楽しみを与えたような気がします。
(でも1週間くらいで終わっちゃったケド)

まぁ、その代わりとしてイロイロと縫い物も仰せつかったけれど。
その縫い物に手を付けるには……あと2日! あと2日しかないのだ!!(最初に戻る)