「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

子ぶた達の苦悩。

※東北太平洋地震で亡くなられた方には心よりご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された方々にも心よりお見舞い申し上げます。
下記の文章が不謹慎と感じられる方もいるかもしれませんが、私自身は通常モードのつもりで書いています。ご寛恕ください。

───

わらの家も木の枝で作った家も悪いオオカミに吹き飛ばされて、残ったのは煉瓦の家だけ。
とはいえ、これは日本ではよろしくないことです。
なぜって、煉瓦の家は耐震構造になっていないから。

日本の住宅は、震災を繰り返すごとに強くたくましくなってきています。
関東大震災から阪神淡路、新潟中越を経て、耐震構造はより強く(少し前にあった耐震強度のウソ計算は除外)なってきているんです。
多分それは、日本という国が始まって以来のことなんでしょう。
だから近代日本における子ぶた達は壊れない家を目指してます。

さて、「耐震」という言葉はよく聞きますが、実は他にも種類があります。「制震」と「免震」。

まず1匹目の子ぶた、「耐震」。耐震というのは、要は、「揺れても崩れないように頑張る」建物です。お相撲さんみたいな。揺らされても、自重と鍛え上げた筋力・骨格で踏ん張る。でも、足元を踏ん張った反動で、頭が揺れる。だから、背の高い建物は、上層階のほうが長く気持ち悪く揺れます。
まぁ、鉄筋を使ったり、木造なら筋交いを増やしたり、柱を太くしたりというようなことですね。

そして2匹目の子ぶた、「制震」。これは、「揺れの力を軽減して下から上へと受け流す」建物です。関節の柔らかい人的な。揺らされた分をあくまでちょっとだけ受け流すだけなので、揺れるこたぁ揺れる。ただ、耐震だけの構造より揺れ自体は少ない(地震の力そのものを減らすわけではない)。
筋交いや柱と梁の接合部、または耐力壁のとこに制震機構(ダンパー)をつけます。ゴム製とか多いですかね。あと鋼。接合部に遊びの部分を持たせることで建物が揺れた時に「動ける距離」を作る。がんばりの効く耐震構造とでもいうか。レベルアップ耐震。

3匹目の子ぶた、「免震」。免震というのは、考え方そのものが違います。「建物が揺れて壊れる? You、揺れなきゃ壊れないじゃない」というもの。その通り。揺れて壊れるなら揺れなきゃ壊れない。
でも、地震は地面が揺れるもの。建物は地面に建ってる物。じゃあ、どうしたって揺れるじゃない。
というわけで、地面から建物を切り離したのが免震構造です。
ベアリングで床下にコロコロを付けるタイプや、基礎と建物を超強力なゴムで繋ぐタイプ、すべすべの基礎の上にすべすべの建物を乗っけるタイプ(すべりっぱなしにならないように、数カ所ゴムで留まってる)があるようです。
家が浮いてれば揺れないジャナイ、というのが免震。

耐震性、というよりも、「地震で被害を受けない率」と言ったほうがいいかもしれませんが(制震は耐震の兄貴分だけど、免震は耐震ではないから)、これで言うなら免震がトップクラスです。ただ、コストもトップクラスなため、あまり普及はしてないようです。メンテ費もかかるしね。あと、地震じゃない時、強風とかで地味に揺れることもあるようです。まぁ、浮いてるから。

そしてここまでが前置きというのが、私のブログのすごいところ。
さらには、前置きでとてもとてもおおざっぱに、薄ぼんやりとした説明をしたけれど、だから現状がああだとか、将来はこうだとか、そういった論旨にならないのも、私のブログのすごいダメなところ。


……いえね。耐震や免震に頑張ったとしても、強い強い風や津波には対抗しきれないんですよね。むしろ耐震・免震の建造物は風に弱かったりする場合もある。
地震に耐える力」というのは、あくまで「足元を揺らがされた時に被害を受けない方法」なんですよね。それは、固ければいい、重ければいい、受け流せばいい、ローラースケート履いてればいい。

ただ、今回の大震災のショッキングな映像を多数見るにつけ、建物の機能性を高めるということの、今後の方向性が少し違ってくるのかもしれないなと思います。今回、命を落とされた方々の多くは溺死だったと聞きます。圧死や外傷はあまり多くなかったとか。
だとすると、建物の多くは、揺れそのものには耐えたんじゃないでしょうか。
もちろん、今回の震災は、阪神のそれと同列に考えていいものではありません。阪神の時の被害が、耐震強度が低かったからだと言えるものではないと思うんです。耐震も免震も、あくまで地面が横揺れした時に、そこにかかる横向きの力に耐えるようになっているので、阪神のように真下から突き上げられる縦揺れには残念ながら耐えきれないこともあるでしょう。
それでも日本の地震対策は、日進月歩、進化しています。今回だって、津波さえなかったらあんなに甚大な被害は出なかったでしょう。
地震は克服できるものじゃないし、進化し続けても「想定外」のことは明日起きるかもしれない。
けれど、地震だけだったら、多くの建物が耐えたのかもしれない。ただ、それだけでは守りきれなかった。
そう思うと、次は建物の「外」になるのだろうか、と思うんです。

93年7月、北海道の奥尻島地震津波による大きな被害が出ました。
その後、奥尻の方々は知恵を絞って津波対策をしています。防潮堤や人工地盤、高床式の学校、そしてドーム型の避難路。
命を守るための知恵と工夫です。


こんなことをつらつらと書いているのも、先日のTVで、田老町の防潮堤は結果的に役に立たなかったと説明されているのが、ちょっとかちーんと来たからなんです。貞観津波のことを考えたら想定すべきだったろう、とそういう論旨だったんですね。
田老町の防潮堤は高さ10m。防潮堤の高さに限らず、「想定外」が全てひっくるめて罪悪であるかのような言い方は、「ぇー?」と思います。
全てを想定することなんか出来ないんだから、ある程度のところまでいったら「想定外」は必ず発生するもの。まぁもちろん、「そこは想定しとけよ」と突っ込みたくなる「想定外」はあるんですけれど。
でも、防潮堤は努力の結果だし、有効な手立てだと思うんですよ。民家が耐震できても津波には耐えられないのであれば、波そのものを防ぐしかない。
だから、結果だけを見て役立たず呼ばわりするのはイクナイ。しかもTVで言うのはもっとイクナイ。

私には、発想のコペルニクス的転回もできないし、そもそも高校物理で伝説の9点(100点満点中)をとった私が理系っぽいことは言えません。
でも、子ぶた達は進歩するはずなんです。
震災の度に耐震・免震の技術を磨いてきた日本が、今度は耐津波技術を磨くときがきたんです。
次こそは、悪いオオカミに負けない。
私はそう信じてます。
がんばれニッポン。