「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

違和感。

先日のTVで、「若い世代の新入社員を迎える側の苦労」みたいなものをやっていた。
若い世代(20代半ばくらいまで)の新入社員に対して、どう接していいかわからない、どんな言葉で指導すればいいのかわからない、という「受け入れる側」が、受け入れるために研修を受けるのだ。
曰く、
「ああしろこうしろ、こうしてはいけない、これではダメだ」というのではなく、
「これは、どういう風にすればいいと思う?」
「今よりもっとやりやすくするためにはどうすればいいと思う?」
という、可能性(または自分でやり方・手順を考えさせること)を示唆するのがいいらしい。

また、大手メーカー「ユニク□」では、インターン制度というものを設けて、そこで店の掃除やお客さんへの挨拶などの実体験をさせ、「実際の仕事というのはこうやって地道なことから入っていくんだよ」というのを入社一次試験の後に教えるのだとか。

時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、正直驚いた。
いや、この驚きももう慣れつつあるかもしれない。こういうことはよく耳にするからだ。

ゆとり世代……と、一言でくくってしまうのもどうかと思うが、以前の日記で私が書いた「手をつないでゴールする世代」的なものはそこかしこに見られる。
つまり、他人と競争することを厭う世代だ。それは、負けるのが嫌だからではない。むしろ、勝つことのほうを嫌がっている節がある。

そんな人々に対し、「そんなんじゃ同期のやつらに負けるぞ」とか「そんなんじゃ売り上げ伸びないぞ」という、否定から入る指導は向かない。同期に負けようが売り上げが伸び悩もうが彼らにはどうでもいいからだ。そもそも上昇志向を持たないような人間に、負けん気を呼び起こす作戦は逆効果でしかない。
だから、受け入れる側は、少しでもやる気を呼び覚ますように、気持ちのベクトルが少しでも上向きになるように気を遣い、金まで遣う。
新入社員の養成費用+中間管理職の研修費用、時間までかけて、上昇志向を持たない人間をその気にさせる。

企業の大中小を問わず、人件費をキープできずにあちこちでリストラが敢行された時代を経て企業たちは今、新人を育てるために──打たれ弱い新人たちが辞めてしまわないように最大限の努力をしている。

もちろん若い世代が働いてくれなくては困る。彼らはこれからの日本を背負って立たなくてはいけないのだから、彼らが社会に出て企業や労働といったものに慣れてもらわなくては困るのだ。

それでも違和感は残る。
社会人って、そうやって蝶よ花よと育てられなければ、使い物にならないんだろうか。むしろそうやって育てても、打たれ弱さを助長するだけのように思えてならない。
けれど、じゃあ実際にどうすればいいかと問われたら、私には代案がないのだ。
だから、新人を逃さないために企業が投資するという話を聞いて、違和感だけが募る。
私は経営者ではないから(もちろん、「自分自身」の経営者ではある。だって個人事業主だから)、労働力の確保や会社を将来に繋いでいくための努力に関しては口出し出来る身分にない。

そして、実際に若い世代の人と話をすると、話が通じない。
なんだかもう違う論理で生きているとしか思えないくらいに、日本語が通じないし、ニュアンスが伝わらない。
周りを見てみると、どうやらそういう人たち──違う論理で生きているいわゆるゆとり世代──に対して、受け入れる側の人々は、まるで腫れ物に触るような扱いをしている。仕事のミスさえも受け入れる。次から気をつけてくれればいいから…と。そして、出来て当然のことが出来たからといって褒めちぎる。

なんだかなぁ……。それは、孤独な役立たずを育てているだけじゃないのか。
ミスをしても指摘してもらえない。正しいやり方を教えてもらえない。些細なことでほめられて、それ以上のことは期待されない。
それは孤独じゃないんだろうか。
それは仕事ぶりに期待できない役立たずじゃないんだろうか。

過剰なコミュニケーションを嫌う世代だからといって、孤独にするの?
プレッシャーに弱い世代だからといって期待しないの?
それはなんだか違うような気がする。

そしてやっぱり、違和感だけが残る。