「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

ゆとりじゃないのにゆとり臭。

ゆとり世代と言われる人々が社会人になって、あちらこちらで物議を醸しているようですが、世代の違う人間達を受け容れがたいというのは、ゆとり世代だけに限らないよね。
それを言えば、我々世代は新人類などと呼ばれたものです。厳密に言えば新人類世代よりも若いけれど、短大卒の二十歳で社会に出たので、ちょうどその頃に大卒・院卒だった人々と一括りにされた感じ。
今だとバブル世代なんて呼ばれるんでしょうね。これも厳密に言えば、バブルの恩恵を残り香としてしか享受していないんだけれど。ただ、スナック(!)で見知らぬおじさんに高いお酒おごってもらったことはあります。


で、ゆとり世代。まぁ、世代を全て一括りにしてしまうのはどうかと思うんですが、概念として通じやすいので。
今の仕事場で、周りの人々を観察してみると、ゆとりと言われる世代のほうがまだ、一生懸命さが見受けられるような気がする。もちろん、社会人としての常識や経験、気概みたいなものは幾らか足りていないけれど、それを補おうとする本人たちの気持ちは伝わるような。おそらく、周囲から「ゆとりだ」と言われることで、多少なりと反発心もあるんでしょう。
もちろん、良いことです。知らないことは覚えればいい。シンプルなことです。足りない経験はこれから積み重ねればいいし、覚えていこう、重ねていこうという気概を彼らが持てば、もうそれだけで、我々はゆとり世代を非難することはできなくなるんです。


ただ問題なのは、実は、ゆとり世代よりちょっと古い世代なんじゃないかなと最近思う。
30歳前後……仕事場では、28歳から34歳くらいの間の人たち。これを何世代と呼ぶのかは知りませんが、この世代の人たちが、いやこれもまた一括りに出来ないんですが、この人たちの中でも思考レベルにずいぶんなギャップがあるように見受けられるのです。
……っつーか、私の仕事場でだけの話かもしれない。職場が特殊なのかな。

(長いので後半隠す)


どうにも、その人たちは「ひとつ先」が考えられないような気がする。目の前のことなら出来るけれど、その次に何が起こるのかを予測できない。
例えば、先日、ライター全員が使うオリジナルテンプレートに小さなミスを発見した。システム的に、全員がそのオリジナルから自動的にコピーしてきて手元作業を始めるので、オリジナルにミスがあったら直さねばならない。
なので私は「○○という原稿タイプのAサイズにミスがあるようです。オリジナルの修正をしてください」と、上の部署(問題の世代)に報告する。そうすると「わかりました!すぐやります!」と素晴らしい返事がある。
3分後、「直しました!」と報告がある。ありがとうと言って内線を切り、作業を再開する。そしてAサイズの原稿を書き終え、次は同じタイプのBサイズ原稿を……と思って開くと同じミスがある。
修正がされてない旨を告げると、「Aサイズって聞いたので……」と答える。「おまえら馬鹿か!」というやりとりをするのにももう飽きたので(過去何度も似たようなことがあった)、最近はもう「○○にミスがありました。ということは、△△も派生テンプレートを使ってるので同じミスがある可能性があります。それぞれAからDの4種類のサイズがあるので、合計8種類のテンプレートをチェックしてください」などと告げるようにしている。

そして、「犯人捜し」をするのも悪いクセだ。
何か問題が起こった時に、一番先に考えるのは「自分に責任があるかどうか」。もちろんそれだけなら悪いことじゃない。「ひょっとして自分がやらかしてしまったかも!」とまず思うのは責任感がある証拠だし、自分の仕事を振り返る瞬間があるのは大事だ。ただそこで、「どうやら自分がやらかしたわけじゃないらしい」と分かった後、それを大きくアピールし始める。
「私は悪くないです」
「私の知らないところで起こったことです」
「それは私は聞いていません」
それは責任感ではなく、責任逃れだ。

ここで食い違いが起こってくる。何らかの問題が起こった時に、「○○な事実がありました。で、現在、△△な状況になってます。このままだと□□になるかもしれません」と報告すると、「わかりました、すぐ調べます!」と素晴らしい返事をしてくれるけれど、その後の返事はまず「私がやったわけじゃないので詳細を把握していないんですが」から始まる。

「私がやったわけじゃないので詳細は把握していないんですが」
(いや、さっき詳細を報告しただろ)
「これまでの経過を考えてみても、私と松川さんは悪くないです」
(そういうことは聞いていない)
「なので、営業さんが事前にそれを把握してたかどうかですが……」
(それは、「今ここで」起こってることを解決できるの?)
「営業がクライアントとどうやりとりしたかまでは、私にはわからないので」
(今聞いてるのそれじゃない)
「まずは営業のほうからクライアントに電話をいれてもらいましょう」
(それが第一声でよくね?)

まず保身、それから思い出したように「松川さんは悪くないです」と付け加える。
私が聞いているのはそういうことじゃない。私は現状を解決するためにこれからどうしようか、どういう手を打つのが一番良いだろうか、また何らかの手を打つために必要な手順は何か、最悪の場合、会社側の立場としてはクライアントに対してどこまで譲歩できるのかを知りたかった。今の状況から起こるであろうことを順番に想像して、妥協点はどのあたりにあるだろうかと推測しながら、自分の使えるカードを確認したかった。
誰が悪いのかは、今その事態を解決するのに必要なカードではない。なんだったら、最終的に私が悪かったことになっても別に構わない。私は、どう解決しようかと持ちかけているだけで、こうなったのは誰が悪いのか?と聞いているわけではない。それは後日でいい。
けれどいつだって(そう、上の会話は特定の日に起こったことではなく、よくある流れ)、「私は悪くないです」から始まる。

上の例で言えば、私が「こうあって欲しい」と思うやりとりはこうだ。
「先ほどの件ですが、まずは事態がこじれる前に営業さんからクライアントに連絡してもらいましょう」
「その結果次第ですが、それで収まるならよし、そうじゃないなら、クライアントの要望によっては松川さんに原稿内容の修正をお願いします」
「ただしその場合、会社の規定上、おそらくクライアントが要望するであろう◎◎までは対応できないので、その手前、●●くらいまでに留めてください」
「クライアントが●●で納得しないようであれば、掲載落ちも視野にいれます」

けれど結局、誰が悪いのか、自分は悪くない、目の前の人も悪くない、どうしてこうなったんだろうとだけ考えて、事態打開の1行目に辿り着くまでにずいぶん時間がかかっている。なんてタイムロス。

話が通じないというより、話を通じさせるまでにえらく時間がかかるというか……何らかの前提が違うとしか思えない。
彼女たちの仕事はとても忙しそうなので、キャパをオーバーしているのではないかとも思う。
ただ、オーバーしてしまう原因の幾つかは彼女たち自身にあるような気もする。キャパを越えているが故に仕事のひとつひとつが雑になり、雑になるが故にミスが起こり、そのミスを修正する時間が必要になり、修正している間にもチェック漏れが起こり、そうこうしてる間に別の仕事が山積みになってさらにキャパを越え……。まさに負のスパイラル。

本来、そのスパイラルを自力で解決するには2択だろう。
ひとつは、一度無理をして全てを力技でまず片付ける。後先を考えずに目の前のことからやって強引にたたみ込むことだ。
もうひとつは、一度全ての手を止めて気持ちをリセットする。〆切が迫っているものがあっても手を止める。そして仕事の順序をよく考え、ひとつひとつをミスなく確実に片付ける。何度もやり直すより、ミス無く一度でやり遂げるほうが結果的には早く終わるからだ。
もちろん私は後者を勧める。けれど、彼女たちは毎回、前者の方法でやり続ける。そうして毎回、片付けきれないものがちらほらと出てくる(もちろん、「解決」にはなってない)。
結局、毎回出る塵で山を作ってはそれが雪崩を起こしたと言ってパニックになるか逆ギレをする。曰く、「だって忙しいんですよ!」。
知らんわ。


よく、「これが出来る人は仕事が出来る人!」みたいなのがあるが、仕事は出来る・出来ないの間に「普通」がある。そして「普通」が圧倒的に多いのに、みんなそれに触れない。なんでだろう。

言われたことが出来ないのは、もちろん仕事が出来ない人だろう。もしくはその仕事に向いていない人だ。
そして、言われたことが出来るのは、仕事が出来る人ではない。それは普通の人だ。言われたことが出来る、指示されたことをミス無くできる。重ねて言おう。それは普通だ。
本当に仕事が出来る人であれば、言われていないことが出来る。言われた以上のことが出来る。予測が出来て先回りが出来る。だからこそ不測の事態にも対処できる。
そもそもが、「不測の事態」なんていうのは、力の限り予測をした上で、それ以上のことが起こった時に「不測の事態」になるのであって、予測すらしていないのであれば、何か起これば全てが不測の事態だ。


長々と書き連ねたが、まぁ、あれだ。
毎回「普通」のことをしてドヤ顔をされるので、「出来ていない」ことを指摘してやったらなんかキレられたのが腹立った、と。そんな日記です。
ここは「ダイアリー」なので、個人の感想です(ドヤ)。

そして、結局は私も、彼女たちのそんな反応を予測しきれていないので、「普通」の人。
いや、薄ぼんやりと予測はしているんだけど、「こう言っても伝わらないんだろうなー。じゃあこう言えばどうかしらー」とか幾つか考えても、かなりの確率で伝わらない。
こうまで伝わらないと、むしろ自分のほうがおかしいのかと日々考える。
こうやって、世代交代というのは進んでいくんだろうなとも考える。仕事をしている以上、「仕事が出来る」人間になろうと努力するほうが少数派になっていくのかもしれない。ベストを尽くすことよりも、課題を無難にこなすことを重視するほうがメジャーになっていくのかもしれない。
ただ、課題をこなすだけの人は、いつまで経っても、他人に課題を与える人にはなれない。
……まぁ、会社という組織に属してもいない私が言っても説得力はないが。


で、これだけだと私が他人のあら探しをする嫌な人っぽいので(間違ってない)、我が家の癒し系に締めくくってもらいます。

丸さが留まるところを知らない猫。

(座っている私の尻のあたりに寄り添いつつ転がってきたので、猫の下腹を揉んでいる様子)