「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

わーお。久しぶり。

久しぶりの読書日記です。2月以来です。もうどこから書いてないのか覚えていないので、「多分これ書いてない」と思えるものを書くことにします。いい加減だ。


悪の教典」(貴志祐介
同僚から借りた本です。貴志作品は「ISOLA」と「黒い家」しか読んでませんでしたが、どす黒さが洗練された気がします(褒めてます)。
もとは連載されていた作品ということで、筆に勢いがあるのもいい。ちょっとご都合かな?と思うところが無いではないけれど、作品全体の統一感と勢いがあるので、ぐいぐいと読めました。
「あんまり人が死ぬ本はイヤだわー」という人にはお勧めしません。

「死ねばいいのに」(京極夏彦
タイトルすごいよね。うっかり新刊の時にタイトル買いしそうになったくらい。踏みとどまったけど。でもやっぱりあまり我慢は出来ず、ブック・オフで半額くらいで買った。
京極氏らしい作品のような気がします。手法は京極堂と似たようなものだけど、これは逆のような。いや、逆じゃないのか。ただ、言霊ってあるよね、っていう。

「夜は短し歩けよ乙女」(森見登美彦
可愛い小説です。「有頂天家族」と「四畳半神話大系」を読んで気に入ったので、いわゆる森見ワールドを楽しむために買った本。
以下、ちょっと続きます。

太陽の塔」(森見登美彦
デビュー作。あ、これ、ファンタジーノベル大賞で受賞デビューしたんですね。確かにこの上なくファンタジーなのに、なんとなくファンタジーノベル大賞とはイメージが違うような。

「新釈 走れメロス 他四篇」(森見登美彦
桃色の……ブリーフが…………。ていうか、京大生って本当にこうなの!?

「きつねのはなし」(森見登美彦
これはちょっと異色ですね。森見氏独特の文体ではないし。京都を隅々まで知り尽くした人が書いているなという印象は同じですが、これ以外の(私が読んだ)森見作品では「京都のちょっとフシギでオモシロオカシイ感じ&京大生の青春」が描かれているのに対し、この作品では「京都の不思議で密やかな感じ」を描いているような印象でした。私はこれ、好きですね。

「八日目の蝉」(角田光代
角田作品は好きなので、最初に単行本で出た時に気になっていたんですが、単行本は私の本棚を圧迫するので我慢していたところ、映画化にあわせて文庫化されました。関係ないけど永作さん好きデス(映画で、誘拐した側の女性役。ちなみに映画は観ていない)。
元恋人の赤ん坊を誘拐した女性が、逃亡生活を続けながらその赤ん坊(娘)を大事に大事に育てていくお話です。
この話は……男性の存在感が希薄なんですよね。誘拐した主人公も女性で、誘拐してきたのも女の子。主人公の逃避行の間に出会う人々も女性がメイン。それでストーリーが成立してしまうあたり、このお話は男性に「俺YOEEEE!」感を抱かせないかと心配です(笑)。
後半は、誘拐された娘が主人公になるお話ですが、ここでもまた男性の存在感が希薄。
どこで感情移入するかでいろいろ印象が変わりそうなお話ですが、(一応)独身女性である私にとっては、おそらく作者が意図した通りに感情移入したと思う。だから後半ちょっとツライ(笑)。

虐殺器官」(伊藤計劃
「戦争遂行業務をアウトソーシングする」とか「ビジネスとしての戦争をプレゼンする」、このあたりだけなら、森博嗣の「スカイ・クロラ」を彷彿とさせます。ただそこに、痛みを感じる脳内モジュールをマスキングするとか、人工筋肉で作った乗り物とか、ナノコーティングで環境追従迷彩を施して潜入工作をするとか、そんな具体的な手段が盛り込まれています。「スカイ・クロラ」が戦争ビジネスから精神的な方向に枝を伸ばしていったのに対し、「虐殺器官」はより伝統的な近未来SFとして世界そのものを描こうとしているといった印象。
スカイ・クロラ」にしても「虐殺器官」にしても、主人公はちょっと少年っぽさを残している感じです。でも確かに、感情のフラットさを求めると、逆にナイーブさとか青臭さが表面に浮かび上がってくるってのはなんとなく納得できるような気がする。なんとなく。ニュートラルな感じなのかな。

「ハーモニー」(伊藤計劃
虐殺器官」の続きの世界のお話です。技術の発達で、病気がほぼ駆逐された世界での。体内に入れる医療分子のおかげで健康状態が全てオープンになってしまう世界。「プライベート」という言葉が淫靡な響きを持ってしまうような世界。その個人がどんな仕事をしているかとか、それによってどんな社会的地位を得ているのかすら、コンタクトレンズのようなもので他人に知れ渡ってしまう世界。
ゲーム的に言うなら、カーソルでターゲットしたキャラクターのレベルとスキル、HP、MPがポップアップで表示される世界。
これは……確かに、考えたことあるな、と思いました。自分が体調悪い時なんかは、バスの優先席に超元気そうなババアが2人座って激しくおしゃべりしているのを見て、「ふ……。こう見えて俺の残りHPは貴様らの1/3!」と心の中で思ったりとか。
逆に、入院してる人のお見舞いに行った時なんかは、病室ってプライバシー無いななんて。しかも病気によっては、排泄の回数と内容を記録して提出しなきゃだし。看護師さんやお医者さんはその人の全てを知ることになって、見舞いに行った人や付き添いの身内も、うっかりそれらを漏れ聞くことにもなる。
そんなあれやこれやが、本当にオープンになったらどうするの?っていうお話。……だと私は思いました。それでも残るものが本当のプライバシーだろうか。
伊藤氏は「ハーモニー」刊行のすぐ後に若くして病気で亡くなってます。数年にわたる闘病生活の一端が、「ハーモニー」の中に込められてるんでしょう。

虐殺器官」も「ハーモニー」も、かなり伝統的なSFのスタイルだと思います。ただ、こんな風にしてそれを表現してくれる日本人作家はあまり多くない。個人的には好きな世界観です。作家が夭逝したという点だけをアピールするのはどうかと思うけれど、でもそうやってアピールしてくれなければ私がこの作品を手に取ったかどうかわからないと思うと、なんとなく複雑。
好きな物語の最終回を惜しむかのような心持ちで、もう少しだけこの人の「世界」を読んでみたかったと思いました。


以上。2011年上半期のまとめ。
ね、ねね年に2回しか書かないつもりとかじゃないからねっ!