「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

明日会えないとしても 僕らは言う「また会おう」と。


先週の土曜日、訃報が届きました。
高校時代の同級生だった友人が6/3に亡くなったとのこと。
同い年の友人が病気で亡くなるというのには、まだまだ早い年齢のようにも思えますが、何にしろ例外というのはあるものです。
取り急ぎ、近郊で連絡のついた友人たちと共に自宅を訪れて最期の別れをしてきましたが、ここ数年はそれぞれお互いの生活環境が変わったりもしたせいで会う機会は減っていたので、なかなか実感は湧きませんでした。
……というか、今でも実感は沸いていないんだけどね。
そもそも我々は病気のことも聞いていなかったので、元気な姿の彼しか憶えていません。


このブログは意外と、もと同級生が読んでいたりするみたいなので、知らせる意味も込めて書き記しておくことにします。
あと、亡くなった当人もこのブログを時々読んでいてくれてたみたいなので、ひょっとしたら読めるんじゃないだろうかとも思うし。
天国(諸説あろうかと思うけれど、一番わかりやすい概念として)に物理的な電話線は引かれていないかもしれないけれど、今なら無線LANって手もあるかもだし。それに、なんとなくなんだけれど、質量としての意味をなさない電子の情報なら、おそらく同じように質量を持たないだろう世界に届けるのに、ある意味ふさわしいような気もするし。


亡くなったのは、高校1年生の時、最初のクラス編成後に、担任えとぽんによって1学期のルーム長に指名された彼です。私が副ルーム長だった時の。
国内では随分と症例の少ない、珍しい病気だったそうです。
もともと症状が少ないまま進む病気で、かつ併発した病気が急に悪化したことと、彼本人が病んでいる姿を見せることを望まなかったせいで、我々は、彼の病み衰えた姿を見ていません。それはある意味、我々にとっては幸いなことだったかもしれません。少なくとも、私たちが思い出す彼の姿は、元気いっぱいでいつでも笑顔です。高校の頃と何ひとつ変わってません。あの頃より体重が3割増しくらいにはなっていたけれど。
だからどうか、このブログを読んで、「ああ、彼のことか」と思い当たる人がいるなら、彼のことを思い出してあげてください。
故人の希望で、通夜や葬式は営まれませんでした。そして、これも故人の希望で、どこかに散骨する予定だそうです。アウトドア好きだったからね。
お墓参りとか、お焼香とかは、彼にとってはきっと意味がないんでしょう。自然に還りたかった人だから、どこかそのへんにいると思います。


とりあえず、最期の別れに駆けつけた3人(私含む)は高校時代から、卒業して進路が分かれても、そして後に就職してからも、数年前までは頻繁に会い、共に夜を明かしたり、狭い部屋の中で男女問わず雑魚寝をしたりする仲間の一部でした。当時の友人たち全員には咄嗟に連絡が付かなかったのが惜しまれるところ。
明るくて社交的で大食漢でゲーム好きで、リーダーシップと、好感の持てる無責任さを同時に兼ね備えた、希有な人でした。
亡くなったと聞いた時も、故人の希望で自宅にて無宗教の家族葬、故人も含めて家族全員平服だからと言われ、「何を着ていけばいいんだ」とか「何を持っていけばいいんだ」とか、仲間で話し合いつつ、「ちくしょう、アノヤロウ、最期まで自由人だぜ!」と思わず笑いがもれるくらいの人でした。
自宅で奥さんから話を聞いたんですが、亡くなる一週間くらい前まで、食欲が落ちなかったそうです。内臓の病気だったのに。彼の人生の楽しみの中でも、結構な割合を占める食事の喜びがぎりぎりまで奪われなかったことはひとつの幸いだと思います。


それにしても、咄嗟に出てくる思い出は、くだらないことばかりです。
高校の物理のテストで、私と彼が9点と11点という熾烈な争いを繰り広げたこと(注:100点満点)。
真夜中、札幌のど真ん中にある広い公園で、酔っぱらって木登りをしたこと。
当時、ゲーセンにあった「自分の名刺を作る」マシンで彼が作った名刺には「職業:詩人」と書かれていたこと。
雑魚寝をする際は、いびきがうるさい彼をいつだって隔離したこと。
夜中の吉野屋、カウンターで並んで食べた牛丼の1杯目が特盛り、2杯目も特盛りを頼んで、向かい側に座っていた見知らぬ人に笑われたこと。
みんなでレンタカーでドライブ旅行をしようという時に、その数日前に運転免許試験に落ちたことを悔しがっていたこと(もちろん、受かっていたとしても、ほんの数日前に合格したばかりの人間に山道を運転させるほど我々は無謀ではなかった)。
彼の結婚式の時に、前置きなしでテーブルスピーチまでやらされたこと。その時のお寿司が可愛い桜のお寿司だったこと。
私がトムヤムクンを作った時に、香り付けに丸ごといれた鷹の爪を、「入ってる人は当たり。香り付けだから食べないでね」と言った直後に、「早く言えよー」と口の中から鷹の爪を出して、舌を震わせていたこと。


彼と共にみんなで過ごしたあの時間は、過ぎてしまえばあっという間で、けれど私の中では……いや、ここはもう複数形で言っても異論はないでしょう。「私たち」の中では間違いなくかけがえのない時間でした。もちろん彼にとってもそうだったと、疑いもなく信じています。
そして、彼という魅力ある人間に出会えたことは、私たちにとって、紛れもなく幸いでした。
「なんであんないいやつが、こんなに早く死ぬんだ」と一緒にいた友人が呟いていました。
世の中には他にもっと、死んでいいやつがたくさんいるのに、と。
そうだね、そう思ってしまうけどね。
でも多分、私たちがそうやって彼の命を惜しむように、「死んでいいやつ」の命を惜しむ人がきっといる。
そう考えると、なかなか本気では呟けない。
ただ、そう呟いた友人ももちろん大人だからそんなことは百も承知でしょう。それでも呟かずにはいられなかった心情を汲んで、亡くなった彼の親友だったその人くらいは、生きてる内にひと目会ってあげてもよかったんじゃないかと、少々恨み言を言いたくなったりもします。


もう何十年かすれば、またどこか違う場所でみんなで雑魚寝ができるでしょう。
その時まで彼には待っていてもらいます。
……いや、いびきがうるさいから、どのみち隔離かな。


ともあれ、彼と出会え、彼と過ごせた幸いに感謝を捧げ、それを哀悼の言葉の代わりとします。
ありがとう。
またね。