「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

利己的な思い。

先日は友人たちと焼き鳥屋さんにいきました。
腹がはちきれんばかりに食らいました。
集まった友人たちというのが、以前、会社員だった頃の同僚たちです。年齢は違うけれど、会社を離れた今でも友人関係が続いています。というのも、彼女たちも既にその会社を退職しているという気安さと、あまりにも過酷だった職場環境を共に過ごしたという事実が、一種、戦友のような感慨を抱かせているからかもしれません。


その友人の1人が、数年前から難病を患っていて体が不自由です。現在の医学では治せないどころか、その進行さえ食い止めることが出来ない病です(緩やかにすることは可能)。
なんかもう、本当に、子供のような思いなんですが、昔、本当に子供だった頃は、「虫歯が飲み薬で治せたらいいのに」と思いました。歯医者が嫌いだったから(好きな子供はあまりいない)。そしてそのくせ、歯のエナメル質はあまり丈夫なほうではなかったから。
少しオトナになった頃は、「飲むだけで痩せられる薬があればいいのに」と思いました(それ意外とキケン)。
亡くなった父が闘病中だった頃には、「飲むだけで癌が治る薬があればいいのに」と思いました。これはまぁ、種類によってはあるんですよね。ただ、求めていた効果は、もっとまるで魔法のようなものだっただけですが。
多分、私に限らず、人間はみんな、薬や治療というものに対して劇的なものを求めます。何の痕跡も残さず、一週間くらいでけろりと治っちゃうようなもの。もしくは、飲み続けてさえいれば改善が見られるとか、少なくとも効果が変わらず維持できるような。
ここ数年は、友人が患っているその病が劇的に治るような薬があればいいのにと思います。そうでなくとも、飲み続けてさえいれば進行を食い止めることができるような。


例えば、もっと子供の頃に、今ほどの思いを抱けていたのなら、医学や薬学といった方面に進んだかもしれません。才が足りていたかどうかは別としますが、でも才というものは、努力と心持ちで凌駕できるものだと思うし。
もちろん、大人になってから、例えば我が子のためにとか、そういった強い思いで色々乗り越えた人もいますけど(「ロレンツォのオイル」とか)。
こういった思いというのは、いつでも誰でもきっと抱くものなんだろうと思います。そのタイミングによっては人生さえ変えてしまうような、そんな強い思い。
医学・薬学といったものが心情的にわかりやすいから、こういった思いを抱きやすいんだろうとも思いますが。
だからこれはとても自分勝手で利己的な思いなんです。
「誰かやってくれればいいのに」。
自分ではもう到底間に合わないから、誰かその最先端にいる人が、その病気に効く薬を開発してくれればいいのに。



生活習慣に関連する病気ならまだ納得できなくはないけれど、そうではないものに人生の途中で突然襲われて、なすすべもないというのはやりきれないよね。
もちろん彼女の前では意地でも口にしないし、顔にも出さないけれど、私は彼女が可哀想だ。
そしてやっぱり、もちろん彼女も辛い気持ちややりきれなさというものを口にしないし、顔にも出さない。
だから、私を含め、友人たちはみんな、なんでもないことのように介助するし、時には軽口さえ叩き合うけれど、でも会うたびに、彼女の身体の自由が確実に奪われ続けてるのがわかる。
彼女に限ったことではなくて、同じ病気の人は何人もいるし、別の病気や事故だって、それ以上のことだってある。
だから、ただ単に私にとって彼女が身近にいるからというだけの、やっぱりこれも利己的な思いなんだけれど、私は彼女が可哀想だ。
魔法の薬があればいいのに。