「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

寄生してきますた(誤字)。

母の日過ぎてからですが、2泊ほど帰省してきました。
たまにはイイ肉食おうぜということで、デパチカで白老牛(北海道のブランド牛)のステーキ肉を買って帰り、実家で調理。粗挽きコショウとローストガーリックでシンプルにミディアムレアで焼き、マルドンの塩を振っていただきました。
我ながら、焼き加減も塩加減もちょうどよく、とても美味しくいただけました。やっぱり、いい肉は美味しい。


母が友人から借りたという本を実家で2冊ほど読み、その合間に、母に、スカートの丈を詰めてほしいと頼まれミシン作業。母は背が短い(用法誤り)ので既製品を買うと大抵スカートが長いのデス。
そして、なんだかんだで洋裁関係の話をしていると、ふと母が思い出したように押し入れから袋をごそごそと。
取り出してみせたのは、古いけれど傷んだり退色してたりはしない和装の帯。藍色にシンプルな刺繍が施された夏帯です。どうやら、死んだ婆さんのもの。
もともと、その婆さんが亡くなった折の遺品整理でも、幾つか傷んでいない和服や帯、小物類があってその一部を私ももらって帰ったりしたのです。
それらは少々時代遅れ感があったり、そもそもが私も母も和装をしない人々なので使い途はなかったんですが、私は、更紗っぽい織り柄の夏帯を1本もらって帰って、それを油絵用のキャンバスに貼って、上から時計の針を填め込んで、壁掛け時計にしました。余った布は端をフリンジにして細長いタペストリにもしました。それらは今でも私の部屋にあります。
母も似たような帯をリビングチェストの上掛けなどに利用していたのですが、それらとは違うもう1本を隠し持っていたらしいです。
「この帯ってナニカにできないかしら」
2人であれこれ考えた末、ちょうど母親が、シンプルで大きめの布バッグが欲しいというので、じゃあそれを作ってみようということに。
「じゃ、札幌に持ち帰ってやってミマス」


「……そういう使い途が出来るならさ。割と色々あるんだけど」
そう言って2階へと手招きをする母。ついていく私。
押し入れをあらためて見ると、確かに十数枚の着物と、何本かの帯がありました。帯締めなんかも各色。
ただ、それらはもったいないことに、我々では着物として使うことはできません。サイズが合わないのも多いし。かといって、よそ様に差し上げるほど良い物でもないし。
始末に困っていた母は、とりあえず押し入れに押し込んで見なかったことにしていたらしいですが、着物としてじゃなく、布として使っていいというのなら、私には使い途がありそうです。
「この柄なんか、ほら、ちょっとフリルっぽいのつければ、チュニックブラウスになりそうじゃん?」
「あ、こんなのでバッグ作ったら可愛いかもよ?」
「おー。なんだっけ、これ。帯……あげ? ちがう、締め? そうだ、帯締め。あの、最後に腹の上で結ぶやつ。これをバッグの持ち手に使ったら面白そう」
なるほど、使える人が見るとそう見えるのねーと言いながら母親は、「どれでも持って行きなさい。重くならない程度に」と言ってくれました。切り刻んでもいいらしいです。
チョーシこいて、着物4枚、帯締め5本、夏帯1本を袋に詰めこんだら、かなりの重さになりました。絹って重いネ。
変色してしまっていた長襦袢あたりは捨てることにして、思わぬところで押し入れ整理。


今日、戦利品(と注文品)を手にマンションに戻ってきたので、明日はそれらと組み合わせる布やファスナーなどを物色するためにショッピングに出ようかと思います。
しばらく退屈しなさそう。
(とはいえ、次の号が始まればまたしばらく忙しい)