「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

セコロジー。

近所のスーパーでは、10月からレジ袋が有料化されるそうです。
なので、マイバッグ持参でね★と宣伝されています。
まぁ、そのことは別にいいと思うんですよ。必要ない人もいるだろうし、必要な人には有料で、というのは理に適っていると思います。
ただ、理に適っているというだけで、それって本当にエコなんだろうかとは思う。


例えば、「エコを意識してマイバッグを」、「エコを意識して、マイボトルを職場や学校に持参しよう」。
それは理屈としてはわからなくもない。レジ袋やペットボトルを削減することによって、CO2の排出を減らそうという考えで。
でも、エコを意識するためにマイバッグを買おうとして、より便利でより可愛いのがいいよね、みたいなカンジでバッグを探してみると、そこそこお高かったりする。
ボトルもそう。デザインと機能が揃ったものを買おうとすると、2,000〜3,000円はする。


うーん。
エコってさ、ちょっとの不自由を受け容れることで、自然に優しくなれればいいよね、っていう考えよね?
でも実際は、エコという大義名分のもとに、消費のベクトルを変えているだけじゃないのかしら。
本当にエコを意識するなら、人間は文化的な生活をやめなくちゃならない。
マイバッグやマイボトルは、一度買えばずっと使えるからいいジャナイ、というスタンスだけど、本当にそれらを何年も何年も使う人はどれだけいるんだろうか。
汚れや傷が目立って、1〜2年で買い換えたり、何枚もマイバッグを持ったりするなら、長い目で見れば意外とビニールのレジ袋のほうが……とか思うのはアタクシだけ?
機能的なマイバッグ・マイボトルを1つ作るのと、レジ袋100枚作るのと、CO2排出量ってどっちが上なんだろうか。
まぁ、そんなこと言いながら、マイバッグとマイボトルは買っているわけデスガ。


ただ、通販サイトからのDMで、「エコフェチのあなたに!」とかいうタイトルのメールが時々送られてくるけれど、エコってフェチになるものなの……?(笑)
エコフェチ、エコ好き、エコマニア……なんだかどれも、「エコ」からはちょっとズレているような気がしないでもない。
多分、エコフェチの人は、エコと名が付けば何でも買っちゃうんだろうし、マイバッグやマイボトルを種々買いそろえているのでしょう。
本当は、エコを考えるなら、人間の消費活動を抑えることが一番なはずなのに、エコを振りかざして消費拡大を狙う方向性はいかがなものか。


ていうか、CO2排出権が金でやりとりされていること自体、なんだかエコの概念が揺らいでくるよね。
自然環境に優しくなろうね、っていう意志を権利化して、しかもそれがオカネで売り買いされている。
自分の生活にとって何がエコなのか、本当は各自の生活スタイルで違ってくるものなんじゃないだろうか。
それを、これがエコ、これは非エコ、とあちこちで判断されちゃってる。


例えば、うちではレジ袋を猫のトイレ砂をまとめる時や、ゴミ箱の内袋として活用しているから、たとえ有料になってもレジ袋使いたい派なんだけれど、レジ袋の使い途がないから貯まるのはイヤだわという人もいるはず。
だからこれを有料化して、希望する人にだけ「売る」というシステムは正しいと思う。
それは合理的だと思う。
けど、レジ袋を「購入」する人が、非エコなんだろうか?


うーん。
むかーし、私がまだ小さかった頃、実家周辺はとても田舎で(注:今はもっと田舎)、母親は買い物に出かけるたびに、「買い物かご」を持って出かけた。
スチールの枠に、細いビニール(?)みたいなものを編み込んでいって作られていた「かご」。
そのかごの中にナイロン製の、今でいうエコバッグをいれて、長い坂を下りて買い物に行っていた。
坂の下には地元の生協があり、レジ袋や紙袋もレジには用意してあったけれど、それぞれ5円とか7円とか、値段がついていた。だから、買い物用の袋やかごを持たない人でも買い物は出来たし、かごを持っていく人はそれを節約できた。
30年以上も前の田舎の光景だけれど、今、現代人はそこへ戻ろうとしている。
イイコトだとは思うんだけど、「エコ」と名付けられると、なんだか似て非なるもののように思えてしまう。


まぁそんなこんなで、エコってひとくくりでは考えられないよネ、と思う今日この頃。
とりあえず、レジ袋が有料化される10月までは、マイバッグを持って買い物に行って、レジ袋を貰ってこようかと思ってイマス。
そんなセコいエコロジー