「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

とある歌に曰く。

例えば友よ
誰かになじられたとしても
なじりかえすことなかれ
きりがないから


……ソウネ。
最近(←?)は割とオトナだから、自分がなじられたなら、こらえることもできるけれど。


けれど私は問いたい。
社会人として自己の仕事に対する責任感というものを。
アイツラに問いたい。


だから、「営業の○○さんに言ってあったはずなんだけどなぁ。ここも。こっちも違うよ」とお客様からなじられたなら、「申し訳ございません」と穏やかな声を出すけれど、それをそのままオマエに伝えることはするぞ。


そんなわけで備忘録(?)。


……問題はおそらくシステム的なものだと思うのよね。
それも人的システムの。
クライアントに関する情報や原稿記載内容が、営業の取材時(きちんと取材しているという前提で)のものと食い違っている場合、または営業が書いた取材シート(ライターに渡されるもの)が不十分だった場合、「ここが違っていた」「ここが足りない」といった情報が、営業にフィードバックされていないようなのよね。
つまり今の営業は、試験の後の答え合わせの時に、模範解答は見せられるけれど、自分の書いた答案は取り上げられたままという状態。
そうであれば、いかに模範解答が見せられても、「制作側からこういった要望が上がっています」と言葉で伝えられても、それは学習システムとしては半分程度しか機能していないのではなかろうか。
よほど記憶力と勘、文章作成能力及び読解能力に優れている人でなければ、そういう学習方法でレベルアップすることは難しかろう。


人は駄目出しされて育つ。
これじゃ駄目、と言われたら、じゃあこれならどうだと奮起し、それよりこうすればいいかも?と指導され、ふぅむと納得する。
そうしてこそ、次からイケてるヤツになれるんじゃなかろうか。
どこが駄目なのかを言わずに「こうすればいいよ」と薄ぼんやりと指導するのでは、誰も彼もがピントズレと言われても仕方がない。


……というようなことを会社の人に口出ししてもいいものだろうか。
基本的にライターは、各人が個人事業主として専属契約を結んでいるだけだから、「外部の人間」なのよね……。
(でも「備忘録」ってことは、言う気むんむん)