「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

舌の記憶。

市内に住んでいた叔母が、私のマンションがある地区の病院に入院しました。
それにより、叔父の一家は、叔父と2人の息子という男所帯になりました。
実は叔父自身も、働いてはいるけれど病身の人なので、日々の食生活は叔母がきっちりと管理していたのです。
が、一家の主婦である叔母が入院して、息子2人は未だ独身ということで、女手がありません。
叔父の住むマンションはちと遠いので、直接手伝いには行けないけれど、叔母の入院先は私のマンションから徒歩15分ほどなので、せめてちょくちょく顔を出すことに。


で、先日、その入院先に煮物をお届けしたのです。
合宿所みたいに野郎だけでなんとかやってるから、と叔父は電話で言っていましたが、それでも叔父の身体のためにはヘルシーな食事が必要だろうということで、シンプルな煮物を届けました。
先日、その煮物の味の話になり、たまたま私の母が叔父からその感想を聞いたというのです。
「松川家の味がした」
と、叔父は言っていたそうです。
叔父の一家は薄味だそうなので、いつも自分で食べるよりもかなり薄味にして、油を使わずあっさりと仕上げたつもりなのですが、それでもやはり「松川家の味」だったそうです。
入院している当の叔母は、本州から嫁にきた人で、叔父は普段その料理を食べているはずなのですが、叔父もその息子(従弟)たちも私の煮物を「松川家の味」と認識したらしいのです。


叔父(父方)が言う「松川家の味」は「祖母の味」でしょう。
数年前に亡くなった祖母という人は、5人目の子供となるその叔父が1歳の時に夫を亡くし、それ以来、父や叔父を含めた5人の子供を女手一つで育て上げた女傑です。
私の父が長男であったため、私は祖母と一つ屋根の下で育ちました。
だから私が祖母の味を受け継いでいることは不思議ではないのですが、父の弟妹たちは早くに独立したため、祖母と長くは暮らしていなかったはずで、件の叔父も例外ではありません。それでも「松川家の味」を覚えているものなのだなぁ、と少々感慨深い思いを抱きました。


料理の味というものは、簡単な煮物ひとつとってみても、それぞれの家庭の味がきっとあって、それはもちろん男女の差なく受け継がれるものではあるんでしょう。ただ、どうしても祖母の味や母の味を受け継ぐのは娘になって、息子はやがて妻の味に慣れていくものなんだと思います。
私の家の場合は、たまたま祖母が同居していて、なおかつ母が料理には熱心ではなく、祖母が料理することを好んでいたために、私には母の味よりも祖母の味が色濃く受け継がれているんでしょう。
料理の巧拙とは無関係でも、舌を通じて、祖母の味から長く遠ざかっていたはずの人間の記憶巣を刺激出来たという事実は、ちょっとウレシイ。