「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

変な夢を見た。


変な夢を見ました。
あまりにも変だったので、書き記してみました。
あちこちが唐突で、不条理ですが、そこはそれ、夢なので。
この記述の終わりが、そのまま夢の終わりです。コレ全部が夢です。

 私はバスに乗ろうとしていた。付近の道路は立体交差になっていて、バス停は私が走っている道路の下になる。見ると、今まさにバスは停留所に停まろうとしているところだ。どうしてもそのバスに乗りたいと思った私はバスの屋根めがけて、道路から飛び降りた。バスの屋根には、前の停留所で同じように飛び乗ったらしい乗客が、私の他に3人ほどいた。
 バスは下り坂にさしかかり、その先の交差点を左に曲がる予定である。ぐい、とバスが右側に傾く。私は振り落とされぬようにバスの屋根についた手すりにしがみついた。次の瞬間、視界に1人の少女が映った。交差点の真ん中に立ちつくし、バスを正面から見つめる少女。中学生くらいだろうか。制服を着て、黒い鞄を持っていた。バスは急ブレーキをかけるでもなくその少女めがけて突っ込む形となった。
 どん、と下から存外に軽い衝撃が突き上げる。ああ、なんてことだ。バスの運転手はどこを見ていたんだ。いや、そもそも何故あの少女はあんなところに突っ立っていたのだ。じっとバスを見つめていた少女の瞳は無表情で、自らを殺すための暗い情熱の色もなく、突如現れたバスに呆然と驚いている風もなかった。ただただ静謐な、真冬の湖のような気配があるだけだった。


 角を曲がりきったところでさすがにバスは停まった。停留所ではなかったが、誰もがバスを降りた。誰が連絡したのか、たちまち警察車両が何台か集まった。それと一緒に来たのは救急車ではなく、まるでトラックのような、箱形のコンテナらしきものを載せた車だった。私を含めた乗客が警察に情況を訊かれている間に、トラックに乗っていた作業服の男達が3人ほど出てきて、バスの下から少女の身体を引き出した。血に染まった、まるで人形のように意志のない身体は作業員たちに荷物のように扱われ、無造作にコンテナの中へ放り入れられた。
 なんと非人間的な扱いなのか、と誰もが驚いた。血の跡やコンテナを指さし、乗客達がざわめく。やがて警察は、もっと詳しい話を聴くからと言って、我々を近くの学校らしき建物へと案内した。


 教室らしき場所で待つように言われたが、その教室には机も椅子もない。ただ、教壇と黒板があり、それらの反対側の壁には作りつけの棚が幾つかと掃除用具入れがあったので、そこが教室だと知れた。
 待たされはしたものの、どのようにして事情を聴かれるのかわからない。誰かが呼びにくる気配もない。そして、少し前からどうにも体調が悪い。ひどい眠気を我慢した時のような、とりとめのない目眩が間断なく襲ってくる。どうしたものかと周りを見回すと、それまで見ず知らずの乗客だったと思っていた人々が友人たちだったことに気が付いた。その友人たちと幾つか推測を話し合う。例えばあの少女は自殺したのだとか、いやあれは事故だったとか、あの遺体の扱い方からして、少女は何かやってはいけないことをした人間なのではないかとか。


 誰も事情を聴きに来る気配がないな、と言って友人が1人立ち上がった。様子をみてこようという友人に他の友人たちもうなずき、それでは一緒に行くとみんな立ち上がってしまった。私はどうにも目眩が治まらなかったので、その場で待つことにした。何かわかったら教えにくるからと言って、友人たちは教室を出て行った。さて1人になってしまったかと思ったら、教室の中には1人の少女が残っていた。これは本当に見ず知らずの少女だ。先ほど亡くなった少女よりはいくらか年嵩だろうかと思える。痩せっぽちで、艶のないロングヘア、野暮ったい制服に大きな眼鏡。肌にはニキビの痕が目立ち、お世辞にも見目良いとは言えない少女だった。
 その少女が振り向き、私に向かって言う。
「どうしたの? 具合が悪いの?」
 そうでもないと私は答えたが、少女は首を傾げて言葉を重ねる。
「保健室に行ったほうがいいよ。連れていってあげようか」
 見目良いとは言えないなと、先刻心の中で評したことを私は恥じた。なんと心持ちの美しい娘だろう。
「でも先に行った彼らが今に戻ってくるから」
「あの人たち、ちっとも戻ってこないね、どうしたのかな」
 言われてみれば、友人たちが教室を出てから随分と経っているような気がした。彼らを捜しつつ、保健室に行ってみようという彼女の提案に私は頷いた。


 教室を出て、板張りの廊下を進む。入ってきた時には気付かなかったが、この校舎は木造らしい。木地そのままの色をした床板はくすんではいるがしっかりとしていた。黒々とした柱と白い漆喰の壁はコントラストが美しい。
 廊下はやがて階段に行き着き、その階段を下ると踊り場を挟んで1階の玄関ホールに通じているようだ。
 吹き抜けの玄関ホールには、光が降っていた。それは、光が差し込んでいるという意味ではない。本当に、光の粒が雨のように降っているのだ。どこからとは知れない。ただ、テニスボールくらいの大きさの光が上方から降り注ぎ、床に当たると、じわりとその部分を光に染めて、ひと呼吸後にはすぅっと消えていく。そういった不思議なものがぽとりぽとりと降り注いでいた。
「わかった!」
 不意に少女が叫んだ。階段を下りていたのは私のほうが先で、少女はその時踊り場に立ってその光の雨を見つめていた。
 少女が叫び、私が踊り場を振り向いた時、私もわかっていた。そうだ、この光の雨なのだ。
 光の雨を手のひらに受けた少女が、その光とともにすぅっと消えた。身体ごと。
 そうか、事情を聴くと言っていた警察の人間も、あのバスの運転手も、教室で一緒に待っていた友人たちも、みんなこの光の雨と共に消えていったのだ。
 その理解は決して恐怖ではなかった。むしろ、その光に導かれる先はどんなだろうと思った。
 玄関ホールに下りた私は、床に膝を突いて、今まさに床に染みこんでいこうとしている光を見つめた。
 旧いけれどしっかりとした造りのはずの校舎で、玄関ホールの床だけが、焦げ茶色の安っぽいビニールだった。 そのビニールの上で光が一瞬滲み、そしてすぅっと消えていく。
 その直後、跪いていた私の背中にも光の雨が一粒降り注いだ。


 目を覚ましたのは、声がかかったからだ。
「ほら。早くビーフシチュー食べちゃって!」
 女の声だ。
 ビーフシチュー?
 気が付くと私は洗面所らしきところに立っていて、目の前には鏡があり、右手には歯ブラシ、左手にはコップを持っていた。
「これ全部食べちゃってよ。ビーフシチュー」
 振り向くとそこは、広いダイニングだった。20畳ほどもあろうかという正方形のダイニングだ。四隅には黒い柱があり、けれどダイニングを囲むはずの壁はなく、モダンなアイランドキッチンが右奥に見える。キッチンの手前にはベンチとローテーブル。そのダイニング全体が他の部分より1段低くなっている。1段低いことだけがダイニングと他のスペースを区切るものだ。ダイニングの四辺のひとつには庭を望む廊下があり、ひとつには寝室らしき空間へ続き、もうひとつは別の廊下へと続き、残るひとつは私のいる洗面スペースだ。不思議な造りの家だなぁ、とのんきに眺めていると、また、ビーフシチュー食べちゃって、と声がかかった。どうやら私に向かって言っているらしい。
「おはよう。今食べるよ」
 そう答えながら、見知らぬ人物が廊下から出てきて、ダイニングのベンチへと腰をおろした。
「朝からビーフシチューか」
 私もそう文句を言いながらその隣に座ろうとした。


 そこで不意に気が付いた。そうだ。彼らはあの学校で別れた友人たちではないか。つまり、あの光の雨に身体を消された人間たちが集う場所なのだ、ここは。
 どこかにあったはずの日常に、あの光の雨に打たれた人間の魂がそのままそっくり入り込んでいるのだ。
 ほら、あのキッチンに立っている女も、今まさに隣でビーフシチューを食べようとしている男も、寝室から出てこようとしているもう1人の男も。あの時、教室から出て行ったあの友人たちではないか。
 はたと、あの少女はどうなったろうと思った。教室で声をかけてくれた少女ではなく、バスに轢かれた少女だ。バスに轢かれた少女の身体は消えることなく、コンテナに放り入れられた。そうだ、消えるわけがない。彼女は光の雨に打たれていないのだ。けれど私は覚えている。バスに轢かれる直前の、あの少女の静かな瞳を。あの少女はひょっとしたら、あの世界での身体を消したいと願ったのかもしれない。だとしたら、彼女はこの世界ならば上手く生きられるのかもしれない。あの少女はどうなったろう。


 私は家の中を走り回った。ありとあらゆる部屋のドアを開け、ベッドの中でまだ眠ったままの者がいれば、その毛布を剥いで顔を覗き込んで少女を捜した。
 いない。
 よし、捜そう。もっと捜そう。まだ捜していないところは……? いや、そもそもあの少女は『こちら側』に来られたのだろうか。まだ向こうの世界のどこかで引っかかっているのかもしれない。だとしたら、あのコンテナに投げ入れられた遺体を、あの学校の玄関ホールに連れて行けば『こちら側』に来られるかもしれない。
 もとの世界に戻るためには、もう一度眠らなければならない。眠れば『向こう側』に行けるはずだ。
 空いているベッドを見つけて、私は毛布の中に潜り込み、眠ろうとした。
 だが、ビーフシチューの声が私を眠らせない。すぐ戻ってくるから、今は眠らせてくれ。
「ビーフシチューだってば」
「コーヒーだけでいいよ」
 そして私は結局眠らせてはもらえなかった。