「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

人間失格。


先日の、タルさんの日記を読む数日前に、偶然「人間失格」を文庫で買って再読していたのでした。ナイスタイミング。
ただ、私が買ったのは小畑健が表紙を描いた集英社版ではなく、すげぇ普通の角川文庫版です。
夏休みになる前に、ふと「人間失格」の第一章の書き出し、あまりに有名なあの一文、「恥の多い生涯を送ってきました」という一文を、何かのコラムで読んだのです。太宰の代表作品だよね的なコラムだったのですが、その一文を見て、全文を読み返したい気持ちになったので。


私は割と太宰さんが好きです。初めて太宰を読んだのが「人間失格」で、確か中学生の頃です。
その頃実家にあった、古くさい日本文学全集の中のひとつにありました。
その文学全集はA5版くらいのサイズで、厚さ3センチほどのハードカバー、布製本、ビニールカバー・箱付きで中の文字は小さく2段組という古くさい代物でした。奥付のページに小さく縦書きで、「定価三九〇円」とか書いてあったように記憶しています。
私がモノゴコロついてからずっとあったものですから、多分、父親が買いそろえたものでしょうが、当時にしてはそこそこの金額だったのだろうと思います。


初めて読んだ時には、衝撃を受けました(と記憶しています)。
ただなにぶん、子供だったので、その衝撃を表す言葉を知りませんでしたけど。
現実的に読み解けば、太宰自身が精神病院に入院させられた時の衝撃を自分自身で消化(もしくは昇華)しようと書かれたものだろうと推測でき、「人間失格」の主人公はその手記を読む限り、離人症的な症状や、現実感の喪失等々、多分に精神病質的な部分が見受けられます。
主人公の病的な部分というのは、覚醒剤なんかの使用でもよくみられる症状のようなので、太宰自身が最初からそういう部分を少なからず持ち合わせていたというよりは、太宰がパビナール中毒だった時の経験をもとに書いた部分だろうとも思います。
でもまだ中学生だった自分にはそこまでわかりませんでした。
ただただ病的で、愚かで、弱くて、馬鹿らしい。破滅的で退廃的で、けれど腐り落ちる寸前の果実のような甘さがどこかに潜んでる。
なるほど、これが文学か、とイタイケだった中学生の頃の私は思ったものです。


そして、イタイケのかけらすら無くなった今。
太宰の身の上を考えて、そこから導き出される、作家としての想いとか、おそらくは太宰自身の資質でもあったろうと思われる病的な部分とか、そういったことを冷静に分析しつつも、やっぱり青臭くほの甘い読後感を抱きますね。
どういう経緯で書かれたかとか、どんな思いで書かれたかとか、どんな人間が書いたのかとか。
そんなこたぁどうでもいいんです。
推測や邪推は出来る。けれど、それをしてもしなくてもどっちでも同じなんでしょう。
なんというか、自分の小昏い弱さをくすぐられるような。
人間を失格した主人公は、あまりに駄目で、あまりに繊細で、そしてあまりに卑怯で。
でも誰しもそんな部分はあって、例えば「鬱病診断シート」とか「精神分裂傾向診断シート」とか「あなたのストレス度判断」とか、ネット上でそんなものを見つけて軽い気持ちでやってみると意外と点数高くて軽くブルーになったりする、そんな部分を寄り添わせることの出来る作品なのかなぁと思います。


この主人公は、自分とは違う、自分はこんなに駄目じゃない。きっと誰しもがそう思うけれど、でも彼の生き方がわからなくはないんです。きっと。
うん、まぁアリかな、と思う。そんな風にささやかにでも受け容れてもらいたくて書かれた小説なんじゃないでしょうかね。


とりあえず、私はそんなことを思いながら読んでましたよ、タルノさん(笑)。


あと、なんかかっこよく装丁されてしまったらしい集英社版の「人間失格」ですが、あの表紙に騙されてコドモたちが太宰を読むなら、それはそれでいいと思います。太宰は弱さを教えてくれると思うから。
そして、表紙のかっこよさに萌えた腐女子たちには、「太宰は、ばりばりの津軽弁だったんだぜ」と教えてその反応をこっそり窺ってみたい。
そんな仄暗い欲望に浸ってみる。
ビバ・退廃。