「それでも今日は好い日だ」

猫と裁縫と日常の雑記。

ねずみ考。

ちょっと変わった本を読みました。
本自体が変わっているというのではなく、私が読むものとしては異色のもの、という意味ですが。


『若者はなぜ3年で辞めるのか? −年功序列が奪う日本の未来−』(城繁幸光文社新書


こういうのを、いわゆる経済評論家とかアナリストとかのオッサンが書くと、大抵的はずれになるんだよなー、なんて思いながら著者紹介をみると、なんと私より若いではありませんか。
エリートっぽく、底辺を知らなそうな印象はあるものの、私にとっては「あんたも若いよ」と言いたくなるような年齢の人が書いたそういう本であれば、ちょっと暇つぶしに読んでみるかと手を出したわけです。
なんかもう読む前から、自分がすげぇ偉そう。


何故3年で辞めるのか。
まぁ、私個人としては、最近の若者に限らず、そして3年という期間に限らず、若い人が辞めるのはしょうがないとも思っていました。
と言うのも、だってそれまではその若者は「学生」だったんですから。
学生が社会人になって、ようやく大人になって冷静に周辺を観察出来て、自分の能力をある程度判断出来て、なおかつそこで自分の希望というものをあらためて考えなおした時に辞表を書きたくなるんだろうと思っていました。
いえ、今でもそう思っています。
高卒だろうが短大卒だろうが大卒だろうが院卒だろうが。
社会人になる前はみんな学生です。
学生には学生の基準というものがあって、それは社会人の基準とは違うのです。
だから高卒で4年働いて22になった人のほうが、大学院まで出て26や28になっている人より大人だと思っています。
社会人として、自分の生活の糧についていろいろと意識改革をさせられ、そこであらためて判断出来るようになるのに3年かかるというだけだと思っています。


こういう考えのもと、件の本を読んでみたわけですが。


著者は東大法学部を出て富士通に入社、人事部で8年ほど(かな?)働いて退職。軽くぶっちゃけちゃった本とかちょっと考えてみた本とかを出版して、今は人事コンサルティング会社の代表だそうです。
さすがに頭のいい人の分析は違いますね。
著者の分析は、年功序列がイクナイ、ということでした。
年功序列は、年金問題と一緒で、結局はネズミ講だと。


ネズミ講、それは夢の永久機関のようなものです。
自分が手下を増やすと、手下の数によって収入が増え、それを幾らか上役に納める。塵も積もれば山となるわけだから、上役は労せずして収入が増え、下っ端は下っ端で、どんどん手下を集めれば幾らでも回収可能だ、と。
ただネズミ講の最大の弱点は、「人間の数は限られている」という点です。
1人が2人誘って……の倍々ゲームを繰り返すとほんの短時日の間に、誘うべき人間がいなくなってしまっている、というネズミ講


著者は、年功序列と年金はそれと一緒だと論じているのです。
まぁ確かにそうです。歳の順に偉くなれるヨと言ったって、課員30人の課に課長は1人しかいらないんですから。
同期入社50人全員が課長になるためには課が50個必要ですよね。
まぁうまいこと順々に上に送っていったとしても、その「上」の収入を支えるのは、若手の営業努力です。
年金の仕組みと同じです。若者が減れば、その分負担は増えるのと一緒で、新規採用者が減れば幹部の収入を支えるための負担は増えます。
が、経営縮小してる会社が多いわけだから、新規採用は増えないわ、年功序列をそのまま待ってても自分が行くべきポストはないわ、かといって今そういうポストにいる人はそれを手離さないわ……の悪循環。


ただ、著者は年功序列が必ずしも悪い物ではないとも言ってます。それを素直に信じるのもイクナイと言ってもいますが。
年功序列の功罪と、その対極に位置する成果主義の功罪、そして今現在の派遣やフリーターが多いことの功罪。
それらを割と公平に論じてはいますが……。
年功序列への絶望、さもなくば対極にあるはずの成果主義への絶望。
派遣やフリーターでいることへの絶望。
望みが絶たれていることに気が付いて、若者は会社を辞めるのだ、と。


うーん。
感想としては、「うん。まぁそうだよね。当たり前だよね」としか言えないんですね、これが。
功罪を論じて、だからどうしろというわけでもないから、そういう感想しか抱けないのは当然なんですが。


ただこの本は、若い人にとっては、「おおぅ!」となる本かもしれません。
なるほどそうだったのか!とある程度衝撃を受けるかもしれません。
3年経ってない人は。
絶望を思い知らされるだけかもしれませんが。


でもやっぱり、この本を読んだ後も私としては、「何故3年で辞めるのか」という問いには「大人になるのに3年かかるから」としか思いません。
ただ、年功序列マジックと年金詐欺をネズミ講と断じたのは、「ああ、なるほど」と思いました。


10年15年ガマンすれば偉くなれる、年収が上がる、退職金が増える。そんなのは神話です。
今は下積みでも、10年経てば社会を動かせる、思い通りの仕事が出来る。そんなのは伝説です。
著者はそのことを、論理的に解いていますが、私はそれを経験で知っているだけの話。
私にとってそのマジックの解明は今更ですが、若い人にとっては役に立つかもしれません。
あと、その神話が神話でなかった時代、伝説が事実だった時代を生きてきた旧世代の人にも衝撃かもしれません。
でも狭間の世代の人間にとっては、「だから何?」みたいな。


まぁ、3年未満で最初の会社を辞めちゃうと「ガマンのきかない奴」と思われるのは、やっぱり昔も今も変わらないんですよね。
だから分別のある人なら、途中で気付いても3年待つし、そうじゃない人はそもそも今なら正社員にしてもらえないから。
そう考えると、3年で云々というのは、結果論になっちゃうような気もします。
結果論というか、そういう数字が出るしかない、みたいな?
当然の帰結でしかないような。


ま、でも経験は金で買えないから。


そんな、ちょっとちりぢりな感想を抱かせた本でした。



そして数日前。
いつもの睡眠薬を貰いに病院に行った時のことです。
センセイと世間話をしていて、最近ふと気付いたことを報告してみました。
去年、まだ薬を貰っていなかった頃は、よく嫌な夢を見ていたのです。
私の場合、嫌な夢というのは、大抵気持ち悪い虫が出てきます。
筆舌に尽くしがたいような醜悪な虫。それが身近にいる嫌悪感というものを夢の中で味わっていました。
が、気持ちよく眠るようになってからは、そういった類の夢を見ていません。
これは眠りの質が改善されたひとつの結果でしょうか、と。


「多分そうでしょうね。あなたの場合は、全身のこりからくる無意識の不快感が眠りの妨げになっていたようですから、肩や首、背中の痛み、不快感、そういったものを夢の中での不快感として脳が処理していた可能性はあります」
「なるほど。ではそれは、私にとって不快なものが虫であるということでもありますか? 確かに私はそういった類の虫は嫌いです。つまり、他の物が嫌いな人なら他の物を夢に見たり?」
「夢で処理するとは限りませんが、例えばアルコールやドラッグの影響で見る幻覚の類なら、本人の一番嫌いなものが出ることは多いようですね。あなたがもしもドラッグをやればそういう幻覚が見えるでしょう」
「……ヤですね」
「ああ、幻覚といえば。以前、友人の医者から面白い話を聞きましたよ」
「どんな話ですか」
「その友人の患者さんにアルコール依存症の人がいて、断酒がなかなか出来ないんですね。でも暴力団がらみの人で、乱暴な人なものだから、症状が少し治まると無理矢理に退院してしまう。それでいいのか、と以前聞いたら、『ああ、どうせすぐに戻ってくるから』と答えるんです」
「どんな仕掛けが?」
「その患者さんは、一定の症状が出た後は幻覚が見えるらしいんですね。その幻覚というのが、ねずみなんです」
「……ねずみ?」
「ええ。ねずみの前肢というのは、ほら、ちょっと人間のように指先が器用そうじゃないですか」
「はい」
「その患者さんは人間大のねずみの幻覚を見るんです。決まって。そしてその幻覚のねずみが自分の首を絞めにくるという。それが怖いから、先生どうにかしてくれ、と必ず一定の時期に泣きついてくるのだと」
「……ねずみですか」
「ええ。その患者さんにとっては、小さなねずみがたくさんというのではなく、大きなねずみが1匹きり。でもそのねずみが首を絞めにくるのが怖くて、自主的に入院しにくるそうです」



うーん、面白い。
ねずみ繋がり。